いきがいクリエーションvol.2 ~崩れる自分と向き合う勇気~ [高次脳_ふと感じたこと]
※個人の主観と受傷程度によって違うのでご了承を。
前回の続き。
「見えない障害」なのに、「自分が崩れていく過程が自分で見える」ってどういうことか?
急性期~回復期の休職中は、少なからずあまり障害のことを自覚していませんでした。
かろうじて認知はしていたけど。
就労前リハも受けましたが、なかなか気づけないね。
障害の程度も、今よりも全然重かったんだけど(何日だけでなく何月かも答えられないし、昨日何してたかとかも覚えてないし・・・)、自分も「障害?いずれ治るだろう。手足も動くじゃないか。全然大丈夫だよ。早く仕事に戻してくれよ。。。」くらいの認識だったらしい。
メモリーノートや、家族・リハさんの話によると、かなり就業復帰の意向が高く、周囲に「まだ早い」とおさえられていたとのことです。
そんな状況で、意気揚々と復職。
数ヶ月の猶予期間を経て、通常就労に戻りました。
最初のうちは「よく戻ってきた」と歓迎ムードなのですが、じきに「そろそろ働こうか」に変わります。
そして以前の“脳”ではない事に、“脳”が気付きはじめました。
「話が聞き取れない」
「議論がかみ合わない」
「スケジュールが把握できない」
・・・・・・・・・・・・
働けば働くほど障害に気付き、心が折れます。
できれば、事前に解っていればよかったんだけどね。
備えあれば憂いなし。
そうは問屋が卸さないか。
リハさんに強く言われていたんですが、障害のことを自分で理解できていませんでした。
僕の場合、ある程度就業におけるキャリア実績や期待値みたいなものが、自分にも周囲にも共通認識としてあったので、それを否定して再度創り直すことの壮絶さに、本当に苦戦しました。
「このタイミングでもう一回やりなおし?」「こんなの自分じゃない」みたいな。
きっかけがあれば、やる気が出て障害を乗り越えられる、もしくは元の自分を取り戻せるんじゃないか、と思って転職。
「逃げの転職」「自己逃避の転職」だったと感じてます。
頑張ってトライしましたが、結局、「障害をなかったこと」にはできませんでした。
あえなく撃沈。
そして、障害と向き合って生きてくために、障害のことをオフィシャルに開示(もともとずっと開示してましたが、就労前に口頭か診断書出しているかの違い)して転職をし、担当業務に制限をかけて再々就労。
そしてもう一つの新たなライフビジョンとして、オフで自分の長所を活かした当事者としての活動を開始(語る当事者)。
同じ境遇の方々とお会いしたりお互い切磋琢磨鼓舞したり、執筆したり、講演したりしています。このブログも、自分と本気で向き合うために始めました。
決して再々就労時に、現在の状況と同じくらい障害のことを理解していたわけではありません。
「障害のことを伏せて働く」という選択肢はなさそうだということは解ったので、だったら徹底的に共生する道を模索しようと思って、自分の意識を方向転換させました。
そんな経験の積み重ねで、やっと自分の中でこの障害と向き合う勇気が徐々に湧いてきました。
ここまで来るのに、発症から5年弱経過。方向転換してから2年ぐらいか。
七転び八起きだけど、総じて自分の気持ちは上向きになってきました。
以前、患者会で十年選手の方からアドバイスを頂きました。
「数年でそこまで来たなんて早いじゃないか。順調々。まだまだこれから上向くよ」と。
次回は、いきがいクリエーションvol.3 ~夢の力を生きる力に~ の予定。
いきがいクリエーション_vol.1 [高次脳_ふと感じたこと]
※個人の主観です。数回に分けて書きますね。
今年に入って、高次脳機能障害の集まりや家族会、講演会など、色々な方々とお会いすることが増えました。
当事者間のネットワークも増え、飲み語り合うこともしばしば。
語ると、お互い話がとまんないんだよね。
「こんな場合どうしたらいい?」と、相談を受けることもあれば、
「こんな時どうしてる?」と、お互い知恵を共有したり、
「これから新しい人生をどう創ってく?」と、夢を語り合ったり。
みんな死の境地から這い上がってきているから、その助け合いや連帯感なるものはとても強いです。そして何故か、「同じ境遇で困っている方を助けたい」と感じる方が多いです。
僕もたぶんその一人。
こんな辛い経験をさせたくないよね。
不幸にして受傷される、これからの当事者の方に。
苦労と工夫の約5年半。
僕の知る限り、この障害において就労復帰で苦戦される方が大変多いと感じます。
というか、スムーズに社会復帰できたという方にお会いしたこともないし、そういう方は会にも来ないでしょうし、いないんじゃないかと。
なぜ苦戦するか?
理由は、社会復帰するまで、周囲からも自分からもこの障害が見えないからと捉えてます。
※あくまでも軽~中等症のケースであることご了承を。
例えば、不幸にも事故で腕を失った方の場合、目が覚めて変わり果てた自分を知った時に、しばらくの間とても精神的にショックでしょう。でもいずれ、それを受け入れて前向きに歩んでいくことになろうかと思います。
そして、日常生活や仕事上で、両腕を使うようなことは避けて生活を立て直すことになると思います。
例えば、段ボールを運ぶようなことは他の方にお願いするなど。
しかし高次脳機能障害の場合、腕を使う場面に遭遇するまで喪失していることに周囲も自分も気づかず、自分で段ボールを運ぼうとしたり、周囲も運ばせようとするわけです。
そして自分がその場面に遭遇しても、記憶が落ちているため、なかなかそのことを学習できず、同じ失敗体験を繰り返します。
結果、就労上のトラブルや認識ギャップが発生。
「サボってるだけだろ」とか、
「やる気だせ」とか
「気合入れろ」とか、
「いつ治るの?」とか。
平気で言われたりします。
僕個人としては最後の言葉は、高次脳機能障害のことを知らなくとも、開示して働いている以上本人に言ってはいけない言葉だと思います。
当の本人は、混乱状態になり各種症状が発症。
一方で回復に伴い印象度の強いことは記憶に残りやすくなるため、大きなミスは記憶され、そして人生半ばで委縮した自分が形成されやすくなります。
脳機能の回復に伴い、「自分が崩れていく過程が自分で見える」ところに、
この障害の本当の辛さが存在すると、自身感じています。
(来週に続く)
ゴールデンウィーク2013 [日常のこと]
みなさん今年のゴールデンウィークはどう過ごされましたか?
僕はたまたま会社の保養所に空きがあることがわかり、急遽、有給を使って5連休にして新潟方面に家族旅行に行ってきました。
受傷後、初新潟。
雪のない苗場。
湯沢フィッシングパーク。
釣果。
湯沢高原、標高1000mのサマーボブスレー。
高所恐怖症の僕にはかなりインパクトがありました。
標高1000mのゴーカート。
布団でのお約束。
4歳の娘の三点倒立。
越後湯沢駅のお土産屋さん。
受傷後、初越後湯沢。
たぶん若かりしときは、間違いなくこの近隣のスキー場に何回も来ているんですが、なにぶん記憶がないのと雪のない新潟に来るのは初めてなので、とてもフレッシュな気分でした。
この辺は、しっかりとした温泉街なんだね。
もちろん温泉も楽しみました。
普通に楽しんでいるようにみえますが、実はこれも妻のナビがあってからこそ上手く旅行が出来ていたりします。
僕だけだったら、正直この半分も回れなかったかと。
先の先を読んで動くことが、このうえなく苦手になったからね。
遂行機能や先見性の欠落とでも言うんでしょう。医学的には。
あと発動性の低下。
苦手になったら任せりゃいいんだよ、くらいに最近思えるようになってきました。
妻とか子供に。
子供が行きたいと言って、発動性スイッチが入ればラッキー。
あとは、カメラ持って記録しましょう。
数か月、数年経って見返したときに、必ず自信につながります。
あの時、こんなことできてたじゃん、みたいな。
ということで、この突発的な発動性スイッチ・オンによるゴールデンウィーク2013は、充実したものとなりました。
もうすぐ受傷後丸5年。
記録したことが自己経験の礎となり、受傷後の生活がそこそこ安定してきたのを自身感じています。
記録の積み重ね。
自信の回復。
自尊心の芽生え。
新自分の創生。
人生もう一回やり直しているくらいの感覚の、2013年のゴールデンウィークでした。
2013年4月ラップアップ [ラップアップ]
■その11歳の長男がテレビの液晶を割ってしまった。
⇒あら、フォーだよね。