障害を認識するきっかけ「受容」 ~5周年記事~ [高次脳_ふと感じたこと]
※長いけど、がんばって振り返ってみたので、最後まで読んでね。
障害の「認識」には、いくつかの段階があることを、前の記事で書きました。
「認知」「理解」そして「受容」。
5年という歳月を振り返り、ざっくり意識変容の経過をステージ分けすると、上記のようになると捉えています。
今回は、3段階目の「受容」について。
「受容とは?」
受け入れて、とりこむこと。(大辞泉)
読んで字の如し。
しかし、高次脳にとってこのステージが最も難関であると感じてます。
なかなか受け入れられないんだよね。
周囲から見えないし、自分からも見えない。
周囲も期待しちゃうし、自分も期待しちゃう。
病前のキャリアもあるし、自尊心・プライドもある。
受傷時期や価値観や生活環境など、人によって様々ですが、おおむね私も含め、サラリーマンバリバリバンバン時代に受傷された方は、このキャリアの存在が障害受容を困難なものにしていると感じます。
「障害をなかったことにできる」という期待を、心の底で抱いていたと感じます。だから「こんなの自分じゃない」とか「環境変えればもっとうまくいく」なんて、半ば強引に復転職したり、あがいたり、もがいたり。
では、なぜその状況から逸し、受容することができたのか?(いまだ受容できたとは言い切れませんが)
そこにはいくつかの要因があげられます。
ひとつは、復転職を繰り返すことで、徐々に自分の障害の特性を体感で捉えるようになったこと。
いわゆるトライアンドエラー。
社会復帰後、病前のようにうまくいかないことが頻発しました。周囲からも白い目で見られ、精神的にも多大な苦痛を伴いましたが、一方で、障害への気づきや自己対処策も早く習得したと感じます。
最近は「エラーレス」という手法もあるようですが、社会と関わること自体がリハビリと捉え、あせらず、無理せず、でも0.1歩先の自分を描いて、新しい自分創りをしていくことが、障害受容につながると信じます。
失敗しても、挑戦したことは無駄にはなりません。
リハビリを継続していたことも、大きな要因と感じます。
社会復帰直前は「リハビリもう止めようか」なんてことも言っていたのですが、薄くでも継続していたことによって、結果的に、専門家による客観的継時変化の取得や、サジェッションが中長期に得られ、自分や家族では気づけない指摘を要所要所いただきました。
それだけにとどまらず、自分からの第三者への報告は、自分にとっても客観的な振り返りとして認識されます(近親者への報告は感情や愚痴が多い)。
受傷程度にもよりますが、長期支援・介入は、最終的には当事者のQOLも医療経済的にもプラスになるかと。
本人が自立できれば、パートナーが働けるし、二人で働ければさらにプラスに。
そんな状況の中、最も障害受容を促進させた出来事があります。
それは、「自分を振り返ること」でした。
それも、オフィシャルな振り返り。
受傷後、1-2年後、働けば働くほどうまくいかず訳がわからずパニック状況に。
苦戦を見かねたOTさん(ジョブコーチ兼任)から、困っている同じ境遇の患者さんにアドバイスをしたり、自分の経験を共有することで、「自分に何が起きたかを客観的に振り返ること」を勧められました。
さりげない、障害受容の促進策ですね。
これが、結果的に僕には相当効果的で、今の自分を支えています。
以下、その「自分振り返りイベント」の経緯を記載。
■2011年2月、臨床作業療法という専門誌に、当事者の寄稿欄に執筆(掲載は2011年12月号)。
http://asayume001.blog.so-net.ne.jp/2011-10-14
タイトルは「働くことが最高のリハビリ」。
おいおい。
こんな状況下でこのタイトルをつけた、自分に拍手を送りたいと思います。
たった800字の原稿を、2カ月以上かかって書きました。
というか、文章がまとめられなかったんです。当時の下書きをみると3000字以上となり、やり取りさせていただいた出版社の方からは「相当文章をまとめるに苦労されてますね」との指摘が。。。
■同じく2月、OTさんから、「病院の家族会で、その経験をお話ししてくれませんか?」と依頼され、同じく復職で苦戦している数名の当事者・家族の前でお話ししました。
このとき、初めて高次脳機能障害のスライドを作りました。
http://www.slideshare.net/asayume001/110225
たった6枚を作るのに、これも実は1-2ヶ月くらい費やす。
パワポの習得に時間がかかるのではなく、自分に何が起きていて、どうまとめたらよいのかが、わからなかったのです。土日も、ずっと家にこもって。
この時、初めて「自分は見えていないんだな」というのを、とても体感しました。
実に、就労復帰2年経過した後の話。
「見えない障害」に、本気で向き合うきっかけとなった原点。
この時に、「これは相当おかしい。真剣に向き合わなくては崩壊する」と思い、「自分に起きたことや、今の自分をまとめてみよう」というのを始めたのがこのブログ。
■2011年3月、このブログを始める。
http://asayume001.blog.so-net.ne.jp/2012-03-01
ブログ自体、病前にも経験がなく、全く初めての挑戦。嫌になったらいつでも辞めようと思いつつ、はや2年半。継続は力なり。
■2011年6月、自分を見直すために、一時仕事をお休みに。
雇用先の上司には事前に高次脳機能障害のことは伝えてあったんですが、雇用先は把握しておらず、不安定飛行になっていたので一旦休息。けじめをつける。
■2011年10月、ふとしたきっかけで、現在の雇用先に転職する機会をいただき再々就職。
今度は、医師の診断書・就業見解書・神経心理スコア・できるできないリスト・障害のパンフレット・自分の高次の特徴リストなどなどなどをオフィシャルに提出して、再トライ。
同時に、当事者会への参加や、講演活動が活発になります。
■2011年10月、南多摩障害者就労促進プロジェクトで講演。
このときのスライドはこれ。
http://www.slideshare.net/asayume001/111016-15084370
前回よりもかなり進化しているかと。参加者も医療従事者メインで50名ほど。口から心臓が出るほど緊張して、終わった後、実は病院のリハ室で横になって休ませてもらいました。
■翌2012年6月。
前回の講演がきっかけで、とある大学の作業療法専攻の学生3年生に90分講義。
40名ほど。自分が大学の講義に立つとは夢にも思いませんでした。やればできる。
このときの記事と40人の夢はこちら。
http://asayume001.blog.so-net.ne.jp/2012-06-06
■2012年10月、府中市の学習会で講演。
40名ほど。ばらつきはあるものの総じて軌道が上向きに。
このときの記事はこちら。
http://www.slideshare.net/asayume001/121104
■2013年1月、STさん向けに講演。
専門職50名ほど。このときのスライドはこれ。
http://www.slideshare.net/asayume001/s-tnet-130112
■2013年2月、かしのきひので10分ほど登壇
150名。参加者が3ケタ以上いなっても、話せるようになりました。
http://www.slideshare.net/asayume001/130224-16780752
■2013年3月、永世病院さんで回復期当事者の方に90分ほど講演。
20名ちょっと。回復期の方とお会いするのも、本当に自分にとっては大きな挑戦でした。
http://asayume001.blog.so-net.ne.jp/2013-03-17
■2013年6月
とある大学の作業療法専攻の学生3年生に90分講義
2年目突入。このときの記事と47人の夢はこちら。
http://asayume001.blog.so-net.ne.jp/2013-06-12
■2013年7月、東京都心身障害者センターで40分ほど講演。
300名。高校の軽音楽部以来の大勢の前での登壇。
http://asayume001.blog.so-net.ne.jp/2013-07-19
ここまで読んでいただいた方、ありがとうございます。
自分の性格上、向き合うと決めたら、とことんやろうと思うタイプの人間であり、結果、障害受容のためにプラスになると思うことは、すべて挑戦してみました。
もともと人前で話したり、企画を組み立てるのを得意としていたのですが、ここまで徹底的に自分を振り返って、オフィシャルに他人に語るようになると、さすがに自分の障害を把握できるようになってきました。そして講演する毎に、講演の規模、時間、クオリティが上がっているのを、周囲からも指摘をいただいています。
振り返るごとに、自分が正しく捉えられるようになり、見えない障害の「受容」につながったと信じています。
50万人いたら50万通りのやり方があり、こんな極端な破天荒なぶりなやり方が、到底、万人に当てはまるとも思えないのですが、でも、「自分を客観的に振り返ること」は、受容に大きく結び付くと感じます。
そして、一人で孤軍奮闘見に行くには余りにも負荷が大きいので、その状況を周囲が理解して、応援してくれるようになると、負荷が分散され円滑な障害受容や社会復帰につながると思います。
だから、周囲や支援者の理解が必要な障害なのです。。。
講演の際に、必ず言うことがあります。
ワレワレは社会復帰がエンドポイントではなく、社会との共生がエンドポイントである。
ワレワレは障害者である前に、一生活者であり人である。
障害の受容は、とても多くの困難やハードルを乗り越えながら達成されると感じます。
ニューヨーク大、Rusk前頭葉プログラムというのがあるのですが、そこには、当事者はエベレストの頂上を目指すぐらいの覚悟にコミットすべきであると記載されています。
実際、軽度だから復帰できたというよりも、本当は相当な困難とそれを乗り越えるための工夫を、たくさん経験してきたから、今の自分があると感じてます。
ここまで記事を書ききるだけのことは、一通り経験してきました。
逆に、僕の当事者仲間にも同じように乗り越えてきた同士も結構います。
ぜひ周囲の方は、当事者本人のこの状況を理解していただき、新しい自分創りを応援してくれると、お互い気持のよい社会環境になると思います。
ここまで来ると、その先の「共生」という、エンドポイントが視野に入ってきました。
では次回は、「共生」について。
障害を認識するきっかけ「理解」 ~5周年記事~ [高次脳_ふと感じたこと]
前回は、障害認識の「認知」について書きました。
今回は、その次の段階の、「理解」について書きます。
「理解」とは? ※大辞泉
り‐かい【理解】
物事の道理や筋道が正しくわかること。意味・内容をのみこむこと。
実は、この記事を書いている今の自分が、「自分の高次脳機能障害を100%正しく理解しているか?」と問われると、「おそらく」「たぶん」というのが近い状況です。
もしくは、「100%とは言い切れない」とか。
その時は理解したと思っていても、実際にその後1年2年と積み重ねていくことで、障害への認識が変わったり、理解が進んでいるのを感じます。
だから100%とは言えないのです。
10年たった時には、もっと理解が進んでいるかもしれないので。
ただ、5年という歳月をかけて、様々な経験を積んで、おおむね見えてきた感もあるので、それを前提として今の自分の認識をつづります。
そもそも、何をもって理解したと規定するか?
あくまでも個人の経験で語ってますが、「他人に自分の障害のことを説明できるか?」というのが指標としてあげられると思います。
それも、「症状の説明」ではなく、相手に「どうしてもらいたいか?」が説明できるようになることかと。
例えば、「新しいことを覚えることが苦手です」というのはもちろん伝えるのですが、経験上、それだけではあまり効果的ではないです。
⇒「新しいことを覚えることが苦手なので、なるべく定型的な業務や、覚えることに時間的配慮を頂けると、結果的に効率が上がります」
「注意欠陥障害があります」
これだけ伝えると、たぶん相手は何のことかわかりません。
⇒「周囲の騒音に弱いので、角の席やイヤホンをさせていただくと効率が上がります」
事実、僕の席は端っことなり、集中して作業するときにはイヤホンをしています。その間、周囲はあまり僕に声をかけないし、必要な時は手を振って合図をしてくれるようになりました。
「理解」とは、自分には高次脳機能障害のこういう諸症状があるというのを知るにとどまらず、
・その症状が、就業上どういう影響を及ぼすか?
・その影響を少なくするために、どうしたらよいか?
というのを自分自身で把握することだと思います。
それによって、自分の高次脳機能障害のことを、正しく伝えることができるようになり、結果、コミュニケーションギャップなどを軽減し、継続的な就業に結び付くと感じます。
そのためには、一度体験して、何ができて何ができないのかを把握する必要があるでしょう。反面、当事者は不安で辛い状況に陥ることもあるし、それがトラウマとなり長期に苦戦することもあります。
そこを、周囲の理解や配慮もいただきながら、無理ない程度に時間をかけて体験し、理解を促進していくのが良いと思います。
というか、ここの支援は必須だと個人的には思っています。
こんな経緯で、
自分に自分の高次脳機能障害を「理解」させたと捉えています。
次回は「障害の受容」について。