障害を認識するきっかけ「理解」 ~5周年記事~ [高次脳_ふと感じたこと]
前回は、障害認識の「認知」について書きました。
今回は、その次の段階の、「理解」について書きます。
「理解」とは? ※大辞泉
り‐かい【理解】
物事の道理や筋道が正しくわかること。意味・内容をのみこむこと。
実は、この記事を書いている今の自分が、「自分の高次脳機能障害を100%正しく理解しているか?」と問われると、「おそらく」「たぶん」というのが近い状況です。
もしくは、「100%とは言い切れない」とか。
その時は理解したと思っていても、実際にその後1年2年と積み重ねていくことで、障害への認識が変わったり、理解が進んでいるのを感じます。
だから100%とは言えないのです。
10年たった時には、もっと理解が進んでいるかもしれないので。
ただ、5年という歳月をかけて、様々な経験を積んで、おおむね見えてきた感もあるので、それを前提として今の自分の認識をつづります。
そもそも、何をもって理解したと規定するか?
あくまでも個人の経験で語ってますが、「他人に自分の障害のことを説明できるか?」というのが指標としてあげられると思います。
それも、「症状の説明」ではなく、相手に「どうしてもらいたいか?」が説明できるようになることかと。
例えば、「新しいことを覚えることが苦手です」というのはもちろん伝えるのですが、経験上、それだけではあまり効果的ではないです。
⇒「新しいことを覚えることが苦手なので、なるべく定型的な業務や、覚えることに時間的配慮を頂けると、結果的に効率が上がります」
「注意欠陥障害があります」
これだけ伝えると、たぶん相手は何のことかわかりません。
⇒「周囲の騒音に弱いので、角の席やイヤホンをさせていただくと効率が上がります」
事実、僕の席は端っことなり、集中して作業するときにはイヤホンをしています。その間、周囲はあまり僕に声をかけないし、必要な時は手を振って合図をしてくれるようになりました。
「理解」とは、自分には高次脳機能障害のこういう諸症状があるというのを知るにとどまらず、
・その症状が、就業上どういう影響を及ぼすか?
・その影響を少なくするために、どうしたらよいか?
というのを自分自身で把握することだと思います。
それによって、自分の高次脳機能障害のことを、正しく伝えることができるようになり、結果、コミュニケーションギャップなどを軽減し、継続的な就業に結び付くと感じます。
そのためには、一度体験して、何ができて何ができないのかを把握する必要があるでしょう。反面、当事者は不安で辛い状況に陥ることもあるし、それがトラウマとなり長期に苦戦することもあります。
そこを、周囲の理解や配慮もいただきながら、無理ない程度に時間をかけて体験し、理解を促進していくのが良いと思います。
というか、ここの支援は必須だと個人的には思っています。
こんな経緯で、
自分に自分の高次脳機能障害を「理解」させたと捉えています。
次回は「障害の受容」について。