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僕が僕でなくなった日 [病気の発症について]

2008年8月。真夏。
毎年恒例のお盆帰省。この年は仕事も絶好調で、この時点で年間目標見込みを達成してしまったこともあり故郷に錦を飾る気持ちで帰省。プライベートも充実してて物心ついた子供たちと楽しい日々を過ごしている毎日だった。
この日は朝から好天で、実家の近くのフルーツパークで兄の家族たちとデイキャンプ。
2人の子供たちと、釣りしたり川に入って泳いだりタープ貼ってバーベキューしたりビール飲んだりとエンジョイ。
たぶん人生一番幸せな瞬間だったと思う。
一番の幸せな瞬間。

↓発症12時間前の写真。tyokuzen.jpg
過去数年間の健康診断は胃のポリープ以外オールA。
まさか自分が急性心筋梗塞で心肺停止に陥るなんて夢にも思わなかった。。。この写真の12時間後の深夜。いわゆる丑三つ時。
お風呂も入って寝ようとしていたとき、急に胸と背中がはげしく痛みだしたので寝ていた妻を起こす。トイレに行ったが吐けず、苦しい苦しいとソファーにもたれかかりながら背中をさすってもらっていたところ、急に横に倒れていびきをかきだした。妻はお酒に酔いすぎて寝てしまったんではないかと疑ったそうだが、ピクリともせず呼吸をしていないことに気付き、すぐに就寝中の家族を呼びおこし119番に電話。
電話越しに心肺蘇生を指示され、大人4人がかりで挑む。兄が口、妻が胸、母が足の屈折、父が玄関周りのドアを開けて救急隊を誘導。脚の屈折は特に指示されていなかったが、何かせずにはいられなかったらしくやっていたとのこと。脚は第二のポンプにもなるので、おそらく生死の分かれ目がここにあったと感じている。

その後、救急車と消防車の2台体制で救急隊が到着。AEDを受けながらも硬直して気管挿管もできない状態で隣町の病院に救急搬送。たまたま当直に循環器内科の医師がいて急性心筋梗塞を疑いそのまま緊急手術。冠動脈が開通するまで計20回以上のAEDを受けてぎりぎり助かったとのこと。そのまま朝方に手術が終了し家族には、医師から「極めて危ない状況。除細動を受けた回数が多いため心破裂の可能性がありここ数日が峠。峠を越したら眼がさめることを祈ってください。眼が覚めない場合は寝たきりになると思います。逆に眼が覚めても心肺停止時間が長いので障害が残る可能性が高いです。身体に出るか言語に出るか全く今の段階ではわかりませんが、何かしら影響があると思います。覚悟しておいてください。」と説明。家族全員が絶望の淵に陥りました。
ちなみに人間は心臓が止まると5分で50%がなくなり9分で100%が死亡する。
僕の心肺停止時間は診断上5分。実際は手術が終わって開通するのにもっと時間がかかっていたが、その間蘇生を受けていたので命を落とさずに済んだ。
その後、人工心肺をつけながらICUの中でも一番の特等席である角床に配置。
ここから意識不明の状態で、生死を4日間さまようことになる。

この時妻のお腹の中には3人目がいた。

※上記の話は写真や家族の話から再現しました。


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