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秋の週末のボクノート~記録の大切さ~ [高次脳_ふと感じたこと]

最近自分の中でメモの役割が大きく変わってきました。
以下、週末のボクノート。
 
今週末は、学芸会と七五三が重なってあたふたした週末でした。
長男は、宮沢賢治の童話「雪わたり」の権三郎(主役)を演じました。
学年で立候補&オーディションがあって選ばれたそうです。
ただし主役は4人いますが。。。
最後のコマでの登場だったけど、とりをばっちり決めてました。
yukiwatari1.jpg
よくぞ大役をやりきった。

 
長女は「世界宝物コンクール」で、しんさ員を演じました。
しゃべりはちょっとだけだったけど、上手にできました。
写真を撮ることに集中していたので話のあらすじがわからなかったんですが、あとから調べてみたら大人も考えさせられる結構いい話なんですね。
sekaitakaramono1.jpg
緊張気味だったけど、がんばってました。


 
無事に小学生の二人のイベントは終了。
帰り際に校庭からふと見上げたらいい色の柿が。
「食べたら怒られるかな?」とふと思いながら帰路に。
kaki.jpg 
そのあと午後からは、次女の七五三のお参りに行ってきました。
sitigosan.jpg 
倒れた時にはおなかの中にいた娘の晴れ姿を見れてなにより。 
     
    
    
庭のシンボルツリーのジューンベリーも絶賛いい感じに紅葉中。
juneberry.jpg
ちょっと山奥に行ったら紅葉すごいきれいなんだろうな。きっと。
 
 
 
 
こうやって、我が家の秋のイベント1は無事に終了。
1というのは、来週もイベントがあるからです。
今週末は大きなイベントが重なっていましたが、同時に日常のちょっとした「いいな」と思ったこともしっかり記録することの大切さを、社会復帰3年たって痛感しています。

特に僕の場合、過去数年分の記憶喪失と、同時に新しいことを記憶することが弱くなりました。
そのため、印象の強いことや自分が興味を示したものは比較的記憶形成されやすいのですが、そうでないちょっとした日常の出来事なんかは記憶形成されないことが大半です。
そして復職過程では印象の強い失敗体験がなにかと多く発生し、日常のちょっとした嬉しいことや幸せなことは見逃されて記憶形成されていったと感じています。
   
印象の強いことしか覚えられないんだったら、印象の弱いちょっとした前に進んだことや嬉しかったこともしっかり記録していこう。
 
どうせ記録をとるんだったら、ちょっとだけ幸せな方向でとっていきたいね。

ここを何となく意識しはじめ、何となく日々の生活の記録もしっかりとるようになってから1-2年が経過。
とったものが数年分積み重なってきて、はじめてメモの大切さがわかってきました。

   
記憶の障害者にとって、記録をすることは記憶をすることであり受傷後の自己基盤につながります。
メモは単なるメモではなく、これからの自分を創っていくものである。そう思うようになりました。
 
メモのとり方は人それぞれだと思いますが、スケジュール帳にちょっと一言メモしてあるだけでも、あとから記憶を呼び起こしやすかったりします。
手法は、手書きでもgoogleカレンダーでもカメラでもなんでもOKかと。

   
取ったら振り返りを。

それを毎週末見直すだけでも効果的。
まとめてみたりするともっと効果的。
ひと手間かけると記憶もできる。
まとめたものを誰かに報告できたりするのもいいですね。
このブログとかがそうだったりして。
それを1ヶ月の出来事として、リハやグループカウンセリングで話すのもあり。
さらにまとめて病院の患者会などで話すのもあり。

そんなことを積み重ねていっていたら、メモは単なるメモに思えなくなってきました。

大げさかもしれないけど、記憶の悪い僕にとって、メモの取り方ひとつで今後の人生が変わる可能性もあり、メモは必要に迫られて取るだけではなく、これからの自分を創るものでもあると感じます。
最近自分の中でのメモの役割が変わってきたのと同時に、障害に対する認識にも変化があったと感じます。
少しずつだけど、きっとこの障害との付き合い方がだんだん見えてきた証と信じよう。
※受傷程度や環境等により異なるので、あくまでも僕個人の主観です。

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