2つの故郷に里帰りしました [日常のこと]
里帰りしてきました
ちょっとずらした夏休みを取って帰省。
僕は丸4年前のお盆帰省中に実家で倒れたんですが、当時お世話になった病院のSTリハさんに、妻と当時妻のお腹にいた3歳の娘を連れてお会いしてきました。
STさんが教えてくれたんですが、当時の僕の事を聞いたら「口だけは達者だった(^^;)」と教えてくれました。
予想通り。
これは受傷前も後も変わっていない。
当時のメモリーノートを見返しても、とにかく仕事に戻りたいという要望が強く、自分がなんでリハを受けているかもわかっていない状況であったことが記されています。
そして、転院・社会復帰してからの3.5年間の事を報告。
・復職してから気付く障害のほうが、圧倒的に多かったこと。
・その結果、復職がうまくいかず転職をくりかえしたこと。
・その体験を経て、自分を自分で説明できるよう自己の振り返りに注力したこと。
・最近では調子づいてブログとか講演とかしていること。
脳のネットワークが少し混乱してしまっただけでも、自分の状況を自分で把握するところに時間がかかり、そこで就業上苦戦したこともあわせてお伝えました。
さまざまな病状の方がいらっしゃるので単には言えませんが、同じ所で苦戦されている方もとても多いとのことであり、総じて良い方向ですすんでいると思うと、助言をいただきました。
リハさんも興味津々で話を聞いて頂いて、不思議と気分が落ち着きましたね。
僕の実家の静岡県西部エリアは、高次脳機能障害の診療や就労支援などが、比較的進んでいると言われている地域とのことです。
別のグループカウンセリングで一緒の方で、十数年診断がつかず、その間、精神科や心療内科などをたらいまわしにされて、やっと診断がついて落ち着いたという方もいらっしゃいます。
早い段階で、高次脳機能障害を想定した対応を取って頂いた病院に感謝です。
ここで意識不明から回復したので、なんか幼少期から社会人になるくらいまでを過ごした、第二の故郷のように思えてなりません。
これは多分同じ経験をされた方にしかわからないと思いますが、第二の故郷なんです。
そんな病後5年目の帰省は、実家と病院という二つの故郷を訪れた不思議な感覚の里帰りとなりました。
第二東名のNEOPASA駿河湾沼津(上り)にて。
ここの3F展望台からの眺めは、伊豆半島から御前崎まで一望できて最高です。
ちょっとずらした夏休みを取って帰省。
僕は丸4年前のお盆帰省中に実家で倒れたんですが、当時お世話になった病院のSTリハさんに、妻と当時妻のお腹にいた3歳の娘を連れてお会いしてきました。
STさんが教えてくれたんですが、当時の僕の事を聞いたら「口だけは達者だった(^^;)」と教えてくれました。
予想通り。
これは受傷前も後も変わっていない。
当時のメモリーノートを見返しても、とにかく仕事に戻りたいという要望が強く、自分がなんでリハを受けているかもわかっていない状況であったことが記されています。
そして、転院・社会復帰してからの3.5年間の事を報告。
・復職してから気付く障害のほうが、圧倒的に多かったこと。
・その結果、復職がうまくいかず転職をくりかえしたこと。
・その体験を経て、自分を自分で説明できるよう自己の振り返りに注力したこと。
・最近では調子づいてブログとか講演とかしていること。
脳のネットワークが少し混乱してしまっただけでも、自分の状況を自分で把握するところに時間がかかり、そこで就業上苦戦したこともあわせてお伝えました。
さまざまな病状の方がいらっしゃるので単には言えませんが、同じ所で苦戦されている方もとても多いとのことであり、総じて良い方向ですすんでいると思うと、助言をいただきました。
リハさんも興味津々で話を聞いて頂いて、不思議と気分が落ち着きましたね。
僕の実家の静岡県西部エリアは、高次脳機能障害の診療や就労支援などが、比較的進んでいると言われている地域とのことです。
別のグループカウンセリングで一緒の方で、十数年診断がつかず、その間、精神科や心療内科などをたらいまわしにされて、やっと診断がついて落ち着いたという方もいらっしゃいます。
早い段階で、高次脳機能障害を想定した対応を取って頂いた病院に感謝です。
ここで意識不明から回復したので、なんか幼少期から社会人になるくらいまでを過ごした、第二の故郷のように思えてなりません。
これは多分同じ経験をされた方にしかわからないと思いますが、第二の故郷なんです。
そんな病後5年目の帰省は、実家と病院という二つの故郷を訪れた不思議な感覚の里帰りとなりました。
第二東名のNEOPASA駿河湾沼津(上り)にて。
ここの3F展望台からの眺めは、伊豆半島から御前崎まで一望できて最高です。
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