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傷ついた脳を再統合する ~4周年記事~ [高次脳_ふと感じたこと]

※受傷程度や環境等により個人差が大きいので、あくまでも僕個人の主観であることをご了承ください。

来月でもうすぐ受傷後丸4年。
こんなタイトル大げさかなとも思ったけど、自分が今まで経験したことや感じたことを、4年目の記事としてしばらくの間ブログで書いていこうと思います。

復職して、初めの半年くらいは「生還して何よりだ」「よく戻ってきた」と歓迎ムードですが、その後周囲も「そろそろ前のように働こうよ」というモードになります。
特に、僕は身体障害を有していないため、なおさらそう見られたように感じます(今でもそう見られてる感あり)。

僕も、受傷したことは復職前に認識していたのですが、高次脳機能障害が就労にどこまで影響を及ぼすものか、到底認識していませんでした。
治ったんじゃないの?なんて自分で思いこんでいた時が、一番わかっていなかった時期だと感じてます。

復職して半年間の慣らし運転が終わったころから徐々に業務量をあげ、病前のような状況を取り戻そうとし始めたころから状況が一変。

ダイレクトに、日々障害を体感する状況に陥ってしまい、混乱モードが頻発。
そして一時期「仕事=障害を気付きに行く場」という構造になってしまいました。
twitterを始めたころは、思い返すとフラッシュバックを起こしたりしてたり、フォロワーのみなさんにご心配をおかけしたりもしてました。
改めて、あたたかく見守っていただいた方々へお礼申し上げます。

今まであたりまえに行っていた、全ての記憶や思考や行動を、自ら能動的に行わないと機能しない、この歯がゆくもどかしい感覚。
なんでこんなに、今まで意識してもいなかったことに力を割かなくてはいけないのだろうか。
そもそも、こんなこと考えること自体にも疲労を感じる。
この感覚はたぶん、同じ受傷された高次脳機能障害の患者さん同士しか解りえないと思います。

復職が進み、そんな自分に、気付き始める自分。

疲れる。
気が張る。
疲弊する。

病院に通っている時よりも、社会に戻ってからのほうが、はるかに多くの高次脳機能障害にお会いしました。

本当に見えない。
高次脳機能障害。

何度も全てを投げ出したくなりましたね。
だから受傷後、2回も会社を辞めてしまったんだと思います。

逆にここまでして、自分を取り戻すべきだったのだろうか?
自分の受傷程度でこんなことを思うのは失礼かもしれませんが、自問自答した時期もありました。
もし僕が発症時、年齢も60歳近くで子供たちもみな成人していたら、多分、就労復帰はここまで求めない道を選んだほうが幸せだったと感じます。
妻も子供も、毎日「つらいつらい」と言いながら帰ってくる僕の姿は、見たくなかったと思います。

でも現実は、受傷時僕は30代半ば、妻と未就学の二人の子供と、お腹に3か月の赤ちゃん&住宅ローン30年という、なんともきつい状況。
それゆえに、なんとか取り戻したく、過酷だけど継続就労を目的としたリハ街道を目指すこととなりました。

結局のところ何をしたかというと、自分が失った機能を時間をかけて確認。
確認といっても見えないので、再体験で確認した部分が大半です。
と同時に再体験で障害を確認すると凹むので、周囲にもその過程が発症することを説明して、丁寧に取り戻していった感じがしてます。
気持ち切り替え術や、イヤナコトスルー、見えるか?アピールも、役立ちました(この辺りは後日書きます)。

残された記憶や機能を確認し、ひとつひとつ丁寧につなぎ合わせ、受傷後の脳機能を再統合していくことが、
僕の高次脳機能障害と向き合っていくポイントであると、勝手に決めてやってきました。

そう考えるようになって、おおよそ1.5年ほど経過。
今では、もちろん不具合はあるものの、取り戻せるところは取り戻してきたのかなと感じるようになりつつあります。
そして「障害を得たのは辛いけど不幸ではない」と、4年経って少しずつ思えるようになってきました。

受傷後4年目の雑感。
しばらくこんな感じで記事を書いていく予定です。
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